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	<title>遊ぶべ！道南探検隊 &#187; 八雲町</title>
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	<description>函館、道南地方のイベント、日帰り温泉、マニアック観光、歴史伝説を紹介</description>
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		<title>山越の夜泣き石：八雲町</title>
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		<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 07:17:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ねりこ@ななめし</dc:creator>
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		<category><![CDATA[歴史・伝説]]></category>
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		<description><![CDATA[<a href="http://donan.org/history-legend/yonakiisi_yamakosi.html"><img align="left" hspace="5" width="100" height="74" src="http://donan.org/wp-content/uploads/yamakosi_yonaki1-100x100.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="山越の夜泣き石" /></a>関所が設置されていた時代に、罪人を切るために腰をかけさせたと言い伝えられている石。 真夜中、関所の裏の方からしくしくと人のしのび泣く声が聞こえてくるので、関所の番人が不思議に思って行ってみると、暗闇の中に人がうずくまって [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://donan.org/wp-content/uploads/yamakosi_yonaki1-300x225.jpg" title="山越の夜泣き石" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-1282" /></p>
<p>関所が設置されていた時代に、罪人を切るために腰をかけさせたと言い伝えられている石。</p>
<p>
真夜中、関所の裏の方からしくしくと人のしのび泣く声が聞こえてくるので、関所の番人が不思議に思って行ってみると、暗闇の中に人がうずくまっているように見えた。<br />
番人がそっと近づいてみると、それは罪人が切られるときに腰をかける石で、しくしくというその泣き声は石の下から聞こえてきていた。番人は驚いて会所に逃げ帰った。<br />
山越内関所は文久元年（1861年）に廃止されたが、夜泣き石だけは処分されずに残された。石は血の跡で黒ずんでおり、血染めの石ともいわれ、戦後ようやく今の形に保存されるようになった。</p>
<h4>レポートと解説</h4>
<p><img src="http://donan.org/wp-content/uploads/yamakosi_yonaki2-300x225.jpg" title="山越内関所ノ碑" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-1283" /></p>
<p>山越内関所跡地に建つ碑。この大きな碑の右手前に夜泣き石があります。</p>
<p>当時、この山越は和人とアイヌの地の境で、東蝦夷地への人の出入りを監視する場所でした。人家も今よりもきっと少なく、寂しいところだったでしょう。非業の死を遂げた方たちのことを思うと、200年以上前のこととはいえ悲しい気持ちが湧いてきます。</p>
<p>首切り役人として有名な山田浅右衛門（1813～1884）ですら刑を執行した夜は、芸者をあげてドンちゃん騒ぎでもして、酔いつぶれなければ恐ろしくて眠ることができなかったといいます。本当にこの石が泣いていたのかどうかはわかりませんが、首を切る役人にとってこの石は決して心穏やかな存在ではなかったことでしょう。その気持ちから、このような伝説が生まれるのだと思います。</p>
<p>ちなみに、この石の向かって右横に井戸跡もありましたが、私にはこちらの方が何となく恐かったんですが・・・、気のせいでしょうか（気のせい、気のせい）。刑場に首洗い井戸はつきものなのですが、この井戸がそうだったのかどうかはわかりません。</p>
<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=42.23048753247362,140.32819747924805&amp;ie=UTF8&amp;ll=42.23048753247362,140.32819747924805&amp;t=h&amp;z=13&amp;t=n&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="北海道二海郡八雲町山越"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=42.23048753247362,140.32819747924805,red&amp;zoom=13&amp;size=480x350&amp;key=ABQIAAAA4u2T0yNl5BItm34hJc0ZvhSgFbaNgb9keBQ43v0nb2PE-rnTqRSPNLoe60UuQvvZt3Snx5JhXZ3lPw&amp;hl=ja" alt="北海道二海郡八雲町山越" title="北海道二海郡八雲町山越" /></a>
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		<title>門昌庵：八雲町（旧熊石町）</title>
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		<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 07:12:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ねりこ@ななめし</dc:creator>
				<category><![CDATA[八雲町]]></category>
		<category><![CDATA[歴史・伝説]]></category>
		<category><![CDATA[伝説]]></category>
		<category><![CDATA[寺]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://donan.org/history-legend/monsyouan.html"><img align="left" hspace="5" width="100" height="74" src="http://donan.org/wp-content/uploads/monsyouan1-100x100.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="門昌庵" /></a>松前藩10世6代藩主矩広（のりひろ）は、幼年で藩主となったため、藩政をめぐって悪臣たちが暗躍していた。 矩広は、悪臣からすすめられて女に迷い、政務そっちのけで悪臣たちの息のかかった侍女たちと遊びほうけていたが、ある時家臣 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://donan.org/wp-content/uploads/monsyouan1-300x224.jpg" title="門昌庵" width="300" height="224" class="alignleft size-medium wp-image-1278" /></p>
<p>松前藩10世6代藩主矩広（のりひろ）は、幼年で藩主となったため、藩政をめぐって悪臣たちが暗躍していた。</p>
<p>矩広は、悪臣からすすめられて女に迷い、政務そっちのけで悪臣たちの息のかかった侍女たちと遊びほうけていたが、ある時家臣・丸山久治郎兵衛（<a href="matumae_ido.html">闇の夜の井戸</a>参照）の妹で丸山小町とうたわれた「松枝（江とする資料もある）」という女性に思いを寄せ、彼女は矩広の寵愛を一身に受けるようになった。</p>
<p>それを悪臣たちが妬み、彼女が法話を聞くために度々訪れていた菩提寺（法幢寺）の住職・柏巌門昌と密通していると讒言（他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪いように告げ口をすること）した。<br />
矩広は彼女を斬り、白巌門昌を熊石に流し、白巌門昌はその地で草庵を結んだ。</p>
<p>しかし、この頃江戸にいた矩広は病床に伏される日が多く、悪臣たちは「門昌の呪いのせいだ」などど噂したため、矩広は白巌門昌を討つことを命じ、延宝6年（1678）12月22日、ついに無実の罪で処刑された。<br />
最後には経文を逆さに読み上げたという。首を切られたその時、側に流れていた川が物凄い勢いで逆流し、その川は逆川と呼ばれ今も残っている。</p>
<p>討ち手は首級を松前で晒す為に持って帰ったが、上ノ国の天の川が氾濫していたので、江差町円通寺で一泊した。<br />
その際、首級を置いていた部屋が発火し、この寺が全焼するも、首級は無傷だったという。一同これに恐れをなし、結局持ち帰りを断念して矩広が命じて、熊石の草庵のそばに埋めた。この草庵を後に門昌庵と呼んだ。</p>
<p>その後、討ち手の一人が発狂し、討ち手を泊めた家でも狂人が出て、さらに討ち手に草鞋を売った店の家内が変死した。<br />
また、松前藩江戸藩邸で家老・蠣崎広明をはじめ、5人の家老が相次いで変死し、江戸藩邸も放火された。矩広の健康もすぐれず、側室の生んだ子はみな若くして亡くなっていった。<br />
さらに、大凶作にみまわれたり松前城下で火事が起こったり、大風で避難していた船50隻ほどが沈没・破損するという災害まで発生した。城下の人々は口々に門昌の祟りだと噂し、恐れた。</p>
<p>矩広はついに罪を悔いて、釈迦涅槃図を描いて門昌の菩提を弔った。<br />
後年も門昌庵は米10表金10両を藩主から受け、特に16世12代藩主昌広は5世初代藩主慶広が秀吉からもらった桃山別殿の裏門を寄進した。</p>
<p>松前では今も凶事があれば門昌の祟りだと恐れ、昭和24年の松前城焼失（松前町役場の飛び火）もそうだという人もいるくらいである。</p>
<h4>レポートと解説</h4>
<p><img src="http://donan.org/wp-content/uploads/monsyouan2-300x225.jpg" title="柏巖峯樹主門昌和尚の墓" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-1279" /></p>
<p>冒頭の写真は門昌庵山門、左の写真は柏巖峯樹主門昌和尚の墓です。<br />
山門は概略にあったように、16世12代藩主昌広が寄進した、天正19年（1591）に5世初代藩主慶広が秀吉からもらった桃山別殿の裏門です。明治18年（1885）に改築されてはいますが、金具や扉は当時のものを使用しています。</p>
<p>「北海道の古都松前」によると、ここに登場する悪臣とされている人物は、他の（門昌庵以外の）資料では「忠臣」とされていることが多いそうです。<br />
これは何故なのでしょうか。</p>
<p>門昌庵事件後に変死した家老たちは、全て蠣崎姓。つまり、松前藩宗家ともっとも強い血縁関係にあり、幕末にいたるまで重要な家老職についている家系の者たちでした。<br />
しかし、同じ蠣崎姓でも全員が同じ一族というわけではなく、蠣崎正広系と蠣崎守宏系の二家あり、変死者はこの二家から出ていました。</p>
<p>松前藩正史の「福山秘府」でも、ただ「変死」とだけ記すのみにし、理由も何も記されていません。ということは、この変死には公にできない理由があった、と見ることができます。<br />
当時の藩主矩広はわずか6歳で藩主となったため、その藩政を牛耳るために多くの家臣が暗躍していたことでしょう。そんな中で、蠣崎正広系と蠣崎守宏系の二家が権力争いをし、その結果次々に変死を遂げていったのではと考えられます。<br />
この変死事件が大きな話題になってしまうと、幕府からそれを理由に領地没収や藩の取り潰し等を行われかねません。そこで、一連のお家騒動ともいえるこの事件を「門昌庵事件」として一般に話を流し、門昌に全ての理由をかぶせる筋書きを作り、本当の理由を隠そうとしたのではないでしょうか。その筋書きをたてたのは、門昌庵事件では悪臣とされ他の資料では忠臣とされている家臣たちだったのでしょう。<br />
歴史などは、全くの第三者が記さない限り都合の悪い事実は隠されたり改竄されるのが常。ましてや、門昌庵事件の裏側にあったであろうお家騒動に関する史料は、とても公にはできなかったのでしょう。<br />
だからこそ、矩広以降の歴代藩主たちは、お家騒動の身代わりとなり結果的に藩の危機を救った門昌和尚に敬意を表し、篤く門昌の霊を弔い続けたのではないでしょうか。</p>
<p>松前藩10世6代藩主矩広は、晩年には優れた政治を行い、初代慶廣（よしひろ）公と10代章廣（あきひろ）公と共に、松前家の三英傑と呼ばれています。</p>
<h5>柏巖峯樹主門昌和尚について</h5>
<p><img src="http://donan.org/wp-content/uploads/houdouji-300x225.jpg" title="法幢寺山門" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-686" />越後の出雲崎出身で、文武両道に豊かな才能を持ち、武士となって諸国を遍歴しました。<br />
明暦元年（1655）、北海道松前にわたり、法源寺に詣でて雲翁積巌禅師による禅学の講話を聞き、突如として深く感ずるところ有り出家したといいます。その徳も高く人々に敬慕され、寛文5年（1661）、藩主の要請により、法幢寺（ほうどうじ）六世の住職となりました。<br />
「門昌庵事件」の原形と思われる話は、菅江真澄「蝦夷喧辞弁（えみしのさえき）」にあります。これに尾ひれがつき、現在伝えられるところとなったとのことです。</p>
<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=42.129516395107096,139.9892520904541&amp;ie=UTF8&amp;ll=42.129516395107096,139.9892520904541&amp;t=h&amp;z=15&amp;t=n&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="北海道二海郡八雲町熊石畳岩町"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=42.129516395107096,139.9892520904541,red&amp;zoom=15&amp;size=480x350&amp;key=ABQIAAAA4u2T0yNl5BItm34hJc0ZvhSgFbaNgb9keBQ43v0nb2PE-rnTqRSPNLoe60UuQvvZt3Snx5JhXZ3lPw&amp;hl=ja" alt="北海道二海郡八雲町熊石畳岩町" title="北海道二海郡八雲町熊石畳岩町" /></a>
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		<title>黒岩：八雲町</title>
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		<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 07:06:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ねりこ@ななめし</dc:creator>
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		<category><![CDATA[歴史・伝説]]></category>
		<category><![CDATA[アイヌの伝説]]></category>
		<category><![CDATA[伝説]]></category>
		<category><![CDATA[石にまつわる伝説]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://donan.org/history-legend/kuroiwa.html"><img align="left" hspace="5" width="100" height="74" src="http://donan.org/wp-content/uploads/kuroiwa-100x100.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="黒岩" /></a>アイヌの移住バージョン1 海岸にある岩をアイヌがクンネシュマ（「クンネ」は黒くある（なる）暗くある（なる）の義。「シュマ」は岩、石）と呼んだので、そのまま訳した。 ここに昔、アイヌが室蘭より移住したと伝えられているが、そ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://donan.org/wp-content/uploads/kuroiwa.jpg" title="黒岩" width="250" height="176" class="size-full wp-image-1275 alignnone" /></p>
<ol>
<li><strong>アイヌの移住バージョン1</strong><br />
海岸にある岩をアイヌがクンネシュマ（「クンネ」は黒くある（なる）暗くある（なる）の義。「シュマ」は岩、石）と呼んだので、そのまま訳した。<br />
ここに昔、アイヌが室蘭より移住したと伝えられているが、その時に駒ケ岳が噴火して灰が降り積もり、船が進まなくなった。 そこで、アイヌの長が神に祈ったところ、何かが船を担いで走り出したという。<br />
あんまり揺れがひどいので、また祈ってみると静かに担いでくれるようになって、無事に黒岩に到着できたという。</li>
<li><strong>アイヌの移住バージョン2</strong><br />
サル（沙流）に、男の兄弟6人と女の姉妹6人の、宝物をたくさん持ったアイヌの兄妹たちが住んでいた。 ずいぶん勢力のあった家だったが、村のアイヌたちはこの家をねたみ、兄妹たちに意地悪をして敵にしていた。<br />
このため兄妹たちは、サルに居づらくなって旅に出、舟で室蘭に来たとき1番上の姉は室蘭の男と結婚した。<br />
残りの11人の兄妹たちが室蘭から舟出したとき、駒ヶ岳が噴火してたくさんの軽石が湾内に流れ出し、舟は全く動くことができなくなってしまった。<br />
そこで1番上の兄が、男のカミギリ（海の神）に祈ったところ、鯨が出て来て先立ちし案内を始めたが、 潮が早くて舟を操ることができなかった。<br />
次に2番目の兄が女のカミギリに祈ったところ、女の鯨が出て来て今度はうまく舟を動かすことができた。<br />
そしてポンシラルカに舟を着けてここに住むようになった。<br />
ポンシラルカとはシラルカ川（黒岩）の南の方にある小さな川の辺りで、シラルカとは岩を意味し、 黒岩のことをシラルカという。シラルカに対するポンシラルカは、小さな岩を指したものである。</li>
<li><strong>アイヌの戦い</strong><br />
黒岩は昔ルクチといった磯で、ここに大きな黒い岩があるので和人が黒岩というようになった。<br />
昔トイマコタン（遠い異国）のアイヌたちが、サントミ（軍勢）をまとめて舟でここのコタン（集落）に夜討ちをかけてきた。 いよいよ岸に近寄って上陸しようとすると、目の前にたくさんのアイヌがたむろしているのに驚き、 われ先にと舟をこいで逃げ去り、コタンは何の被害も受けなかった。 トイマコタンの連中が敵と見たのは、実はルクチの黒岩の姿であった。 このためアイヌたちは、コタンを守ってくれるシュマカムイ（石神）として崇拝し、 イナウ（木幣）を祭って礼拝したという。</li>
<li><strong>龍神さま</strong><br />
大正時代、黒岩の海岸を通りかかった1人の女性が、―岩の上に立つ竜神を見たという噂が広がり、 地域の人びとは大漁や海難防止を祈願しようとして、昭和初期に岩の周囲にさくを設け、 小さなほこらを建てて御神体を安置した。<br />
しかし、この岩は波をかぶるためにほこらの損傷が激しく、黒岩神社に移した御神体を除いて跡形もなく波にさらわれてしまった。<br />
昭和48年、住民によって再建計画が立てられ、岩の上に赤い鳥居とほこらが設けられ、それを結ぶ橋やあずま屋なども建てて入魂式が行われた。</li>
</ol>
<h4>レポートと解説</h4>
<p>この黒い岩は現存し、国道5号線からも岩の上に神様が祭られている祠を見ることが出来ます。<br />
岩のなりたちは、流紋岩質の溶岩が海底であふれ出し、水で急冷され、バラバラに壊れたものが積み重なってできた水冷破砕岩（ハイアロクラスタイト）だそうです。（「<a href="http://nature.blue.coocan.jp/">渡島半島の自然を訪ねて</a>」様による）</p>
<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=42.36174674733808,140.28948783874512&amp;ie=UTF8&amp;ll=42.36174674733808,140.28948783874512&amp;t=h&amp;z=14&amp;t=n&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="北海道二海郡八雲町黒岩"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=42.36174674733808,140.28948783874512,red&amp;zoom=14&amp;size=480x350&amp;key=ABQIAAAA4u2T0yNl5BItm34hJc0ZvhSgFbaNgb9keBQ43v0nb2PE-rnTqRSPNLoe60UuQvvZt3Snx5JhXZ3lPw&amp;hl=ja" alt="北海道二海郡八雲町黒岩" title="北海道二海郡八雲町黒岩" /></a>
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		<title>隠れ座頭：八雲町（旧熊石町）</title>
		<link>http://donan.org/history-legend/kakurezatou.html</link>
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		<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 06:58:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ねりこ@ななめし</dc:creator>
				<category><![CDATA[八雲町]]></category>
		<category><![CDATA[歴史・伝説]]></category>
		<category><![CDATA[伝説]]></category>
		<category><![CDATA[円空]]></category>

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		<description><![CDATA[<a href="http://donan.org/history-legend/kakurezatou.html"><img align="left" hspace="5" width="100" height="74" src="http://donan.org/wp-content/uploads/karekuzatou-100x100.jpg" class="alignleft wp-post-image tfe" alt="" title="隠れ座頭" /></a>旧熊石町、黒岩という集落にあった洞窟の奥に住んでいた妖怪。 昔はこの洞窟に訪れた正直者に宝を授けたという。 日本各地に隠れ座頭の名は伝えられているが、各地によって性質は異なり、悪者もいたようだ。 この洞窟には円空上人作の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://donan.org/wp-content/uploads/karekuzatou-300x225.jpg" title="隠れ座頭" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-1270" /></p>
<p>旧熊石町、黒岩という集落にあった洞窟の奥に住んでいた妖怪。<br />
昔はこの洞窟に訪れた正直者に宝を授けたという。<br />
日本各地に隠れ座頭の名は伝えられているが、各地によって性質は異なり、悪者もいたようだ。<br />
この洞窟には円空上人作の地蔵尊が安置されていて、眼病のものはこの洞窟に祈り、お礼に米を供えたという。</p>
<h4>レポートと解説</h4>
<p>国道229号線の道端に“円空上人滞洞跡”と書かれた案内の柱が立っている岩があり、そこが隠れ座頭のいた洞窟跡です。しかし残念ながら、もう洞窟は崩れてなくなっています。<br />
この妖怪は、秋田県の横手では踵のない盲人だと言われ、これを見つけると福が訪れると言われています。<br />
茨城では、この妖怪の餅を拾えば同様に福が訪れるという言い伝えがあります。<br />
しかし、子供をさらっていくと伝えられる地方もあるようです。<br />
一説には隠れ座頭とは「隠れ里」に関係するのではないかとも考えられています。<span id="_marker"> </span></p>
<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=42.09242671286253,140.04830360412598&amp;ie=UTF8&amp;ll=42.09242671286253,140.04830360412598&amp;t=h&amp;z=13&amp;t=n&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="北海道二海郡八雲町熊石黒岩町"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=42.09242671286253,140.04830360412598,red&amp;zoom=13&amp;size=480x350&amp;key=ABQIAAAA4u2T0yNl5BItm34hJc0ZvhSgFbaNgb9keBQ43v0nb2PE-rnTqRSPNLoe60UuQvvZt3Snx5JhXZ3lPw&amp;hl=ja" alt="北海道二海郡八雲町熊石黒岩町" title="北海道二海郡八雲町熊石黒岩町" /></a>
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